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町長コラム

●平成27年広報おおえ 3月号より 
 50年前「石油が無限にあると思えない。未来のために、大切に使わなければいけない」と語る先生は、自宅から大学までの8キロの道のりを愛用の自転車で数十年間毎日通っていた。夜は危険だと自転車用方向指示器を考案し、取り付けた教え子。自動車の便利さを教える門下生…。それに対し一時の利便の「落とし穴」を諭す先生は魅力的であった。定年も近い。
 スキーをご一緒した時、まるで海を泳ぐイルカのように滑る先生には声も出ない。「力は要らない」とスイスイ60歳の先生が滑り下りてゆく。体力、脚力、精神力は、若いわれわれを時に越え「落とし穴」にいる自分への無言の人間教授となった。
 退職後、先生は「僕にも、石油を使う時がやってきたよ」と自動車に乗った。免許とりたての運転に同乗、初心者の運転の「恐怖」よりも、「一人が生涯、使用できるガソリンの持ち分」を考える生き方に「すごさ」を感じた。体力・気力、便利・不便、人・機械…、雪下ろしをしながら、先生と屋根の上でしばらくぶりに「世界」を語ることになった。ありがとう、先生。
●平成27年広報おおえ 2月号より 
 「常呂町」。初めて見た時「じょうろ」、「つねろ」と読むのかなと考えたが「ところ」と聞いてびっくりした。唯物論、唯名論とはいかないまでも、名前があるから物があるのか、物があるから名前があるのか…浅学非才にとっては悩ましく、地名を取り上げただけでもパンクする。
 大江町にも、ロマンあふれる名前がある。「十八才」は一度聞いたら忘れられない地区名だと思う。一度聞いただけなので確かではないが、ある地区には、アミガサ滝、コアライザワ、オボメ岩屋という場所があるという。思うに、傘のような形をして落ちてくる滝、産湯代わりの小川…、山深い場所なので冬は無理だと友人は言うが、雪解けをを待って訪ねてみたいと思うと、今からドキドキだ。
 国際化の時代、「世界を知れ」とは言うけれど、地元になんと「知らない名前」の多いことか。新しい春に、足元に、温故知新・身の丈…をからませながら、新しい想いを百川衆沢に見いだしたい。想いは、明日の母だから。
●平成26年広報おおえ 12月号より 
 雪囲いの話題が出る季節になった。家屋や樹木、庭先の鉢物まで雪から守る作業は「結構な仕事量だ」と友人は言う。手抜きをすればつぶれたり、折れたり、壊れたりで「物理学の力学」・「耐雪構造計算」の応用編だ。寒い季節、手のかじかむ季節の作業だけに重労働でもある。高所作業はことさら危険だ。生活の安全安心を支えた家屋、春夏秋に楽しませてくれた「生活の彩り」を大切に思う気持ちがなければ、できないことだと思う。
 冬の兼六園、松の「こも巻き」と「雪吊り」は、まるで芸術品で、樹木にも見る人にも気持ちいいシンメトリーだ。長い年月のなかで、たどり着いた雪囲いの最高傑作に違いない。厳しく刺すような冬の季節に、人の気持ちを温かくしてくれる「愛護精神」の発現だ。クリスマスツリーのイルミネーションも美しいが、日本の「雪囲い」も世界遺産クラスだと思う。
 山形県指定文化財の大江の松保の大杉、寒くはないかい、雪は重くないか、できれば厳冬期に訪ねてみたい、夢はかなうか。

●平成26年広報おおえ 11月号より 
 昨年いたずら心で、道路の土手に「菜種」をまいた。まいたといっても、草を刈った後に適当にばらまいただけで、耕したわけではなく土には何も手をつけていない。まいた種は、自然に種がこぼれて何十年も春に花を咲かせる在来品種だ。少なくとも多収量の外来種ではない。
 春、20メートルほどの土手に、見事に菜の花が咲いた。歩行者が迷惑したのでは、とも思ったが、自然が生んだ「黄色と緑」の傑作なので許していただけると自画自賛した。
 花が咲き実を結び、種を作ってほろけ落ち、土に乗っかり芽を出して、雪が降るまでがんばって、5か月近くも雪の下で耐え、見事に黄色い花をつける、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」町の隅々まで「菜の花畑」になったらと思いを巡らした。
 先日また、蒔いた。去年の倍、欲望には際限がないのかと自問しながら。雨が降らない、降れば稲刈りの邪魔になる、「天は二物を与えない」とは言うけれど、菜種は水も飲まずにがまんしている。菜はもう緑色、がんばれ菜種、みつばちもまっている。

●平成26年広報おおえ 10月号より 
 夜空の星がきれいな季節だ。地球上の生きとし生ける物は全て、土や水、光、空の力を借りながら空の下で暮らしている。秋の空は、特に「夜の星空」が素晴らしい。呼べど叫べど、星は何も言わないが、輝きを絶やすことはない。
 学生時代に、高い山の抜けるような夜空の下、明日からまた普段の生活に戻るお別れ会で、必ず歌っていた歌があった。もう何十年前のこと、記憶は不確かで「正調」かどうか、自信はない。
 
 またいつか この山で 会えるさ
 また会おう また会おう この山で
 綺麗な 思い出 抱きしめ
 また会おう また会おう この山で
 緑の 星二つ 寄り添う
 また会おう また会おう この山で

 覚えるために忘れるのか、忘れるために覚えるのか、どちらが正しいか判断するのは難しい。しかしながら「忘れたくとも忘れられないこと」があることも、歌に限らず人生には多い。「覚えて忘れる力」が人生を支えているのかもしれない。
●平成26年広報おおえ 9月号より 
 
中学校の運動会、受付でいただいた案内には「戮力協心」と大きく書かれていた。「戮」が読めない。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」校長先生にお聞きした。「『りくりょくきょうしん』です」とさらりとお答えになった。
 家に帰り、大漢和辞典で意味を調べた。「力をあわせること」と書かれ、同じ意味で「戮力壹心」や「戮力同心」という言葉もあるらしい。さすが大江中学生と感服した。
 「我ら今日もここに、永遠の真理を目指し、力を合わせさあ学ぼうよ、学んでゆこう…」校歌が歌われ運動会が始まった。聞きながら「ここに」とはどこか?「永遠の真理」とは?歌に酔いながら心を洗った。
 戮力協心と校歌で気分が高まった頃、来賓挨拶で我に返った。「協心」・「壹心」・「同心」は、同じ町だからこそ果たしやすい。別れて戦うことは難しい。「一時、町外に出ても、大江中学校生徒は、全員戻ってきてもらいたい」やや脅迫じみた挨拶になってしまったが、皆が大江町で「さあ学ぼうよ、学んでゆこう」には重く、大きな課題がある。
●平成26年広報おおえ 7月号より
 
農村にさまざまな機械が入ってきた頃「何馬力か?」とよく話題になった。今は機械の大型化が進み、象のような100馬力のトラクターもあるという。馬100頭分の力がどんなものか。大きいことはいいことなのか、小さくても「ぴりっと辛い」ということもある。「百俵でも、百回の分けて運べば必ずできる」近所で馬を飼っていたおじいちゃんの言葉の意味は、深くて重い。
 人口減少の数字がはじかれている。集落消滅、田舎と都会、田舎と工業地帯・・・。大都市と地方の景観は大きく異なるが、暮らしの中身はさほど違わないという見方もある。暮らしのなかで、便利さと不便さをどの程度で満足できるか、満足の限界に挑戦し続けるのか。集団の満足度を高める人口論が、静かに自信を持って語られ始めている。量より質ではないかと。
 「なぜ人間は集まるのか」という宿題はまだ終わったわけではない。移住し、住みつくという人間行動の「引きがね」には「夢とロマン」がいっぱいある。

●平成26年広報おおえ 6月号より
 町民ソフトボール大会の朝、左沢高等学校に向うと、グラウンド脇の道路にユニフォームを着た選手が二人いた。こちらに向かってかがんでは歩き、また「しゃがむ」…準備運動中なのか、遠目にはよくわからない。近づけば、手にはゴミ袋、帽子には左沢高等学校の名前があった。「ご苦労さま」と車の窓を開けた瞬間、大きな声で「おはようございます」のあいさつを受けた。黙々といやみなくゴミを拾う姿は部活動の一部になっているようだった。二人の野球部員の後ろに見えた月山が、確かにこう叫んでいた「いつか、きっと、甲子園だ」。
 ある日の夕方、下校途中の小学生に「さようなら」と声をかけたら「See you」と見事な発音で返された。その表情は「僕の英語は通じるか」と真剣勝負を挑んできたような実に「いい顔」だった。後から「Your english greeting is excellent」と答えてやれば、と少々悔やんだ。
 あいさつは明るい、元気な社会の基本だという。あいさつを「無視」することは文字通り「虫も食わない」というのは本当だろうか。

●平成26年広報おおえ 5月号より

 「理解=わかる」と「不理解=わからない」の区別は難しいと思う。
 パラリンピックのパラとは?集団的自衛権とは?DCとは?ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字…「音と文字」が短くも、長くもなる。「言葉は使い手によって変化する」と言われても、その通りとは言いたくない。「不理解」を当たり前だと言ってしまえば、「言葉の海」の中で迷子になってしまうのではないか。
 集団的自衛権の「的」もかなり分かりにくい。その中で行使されたら、どう「分かればいい」のか、少々を越えた不安がある。気張らずに、誰にでも理解し合える言葉で、時間を重ねて語り合うのが、一番大切なのかもしれない。
 言葉には「曖昧さ」があるからこそ、さまざまな解釈によって、意味が膨らんだり縮んだり、心のなかで踊りだしたりして、人生を豊かにする力がある。反面、力があるからこそ、使い方が難しい。
 「民主主義では、ものごとを決めるのに、時間をかける必要がある」意味深い言葉だと思う。


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