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町長コラム

●平成28年広報おおえ 2月号より
 
昔のことになったのかどうか、「東日本大震災」。被害に遭われた方から聞いた言葉が、頭に凍りついたままだ。「何も、なんにも悪いことなどひとつもしていないのに、こんな目に……」、防げると思ってやってきたことが木っ端みじん、「人間の知」を超えた非情な地震と大津波であった。
 「東日本大震災」に動いた日本人の「被災地支援」の行動には―「他人に何かを支援する大変さより、支援される方々の方に数倍の苦しさがある。やってやる方より、やってもらう方が大変なのだ」―という日本人の美学があった。世界中の人々から「支援行動」に高い評価が寄せられた所以であろう。思えば震災時に大江町民は心をひとつにして、被災者の支援に動いてくださいました。ある方は、1ヶ月の間仙台に通い続け、床下に潜り、玉の汗をかきながら、泥にまみれて……、にもかかわらず、「やってもらう方が大変なのだ」と、淡々と言うだけだった。
 2月8日、宮城県亘理町と大江町の「災害時応援協定」の調印が行われた。あっては困るし、起きてはほしくないが、想定外の災害時には、町対町で「応援しましょう」という内容で、本当に「心強い協定」だ。今回の協定は、大江町誕生以来、町対町としては、初めてのものでありますが、ここに至るまでの亘理町齋藤町長さん、議員各位、職員の方々、町民各位のご厚情に心から感謝の意を表したいものであります。未来永劫、二つの町の「友達ちから」が、「あかるく広がり、強くつながる」よう、温めて育てていただけますよう大江町民一同で努力し続けたいものであります。「まさかの友を、真の友に」。

●平成27年広報おおえ 12月号より
 
新築中のお宅、大工さんの手から出てくる作業中の「音」が気持ち良い。新しい家、家族の夢がいっぱい詰まった音だ。金槌で釘を打つ音、「のみ」で穴を掘る音、鋸の音、かんな。小学生のころ、大工さんの働いているそばで「音を」聞きながら、作業を見るのが楽しいと思ったが、今も大工さんの現場は大好きで、林産学・機械工学・構造力学・物理学……学びの学校そのものだ。 
 「金槌=とんかち」は「ドリル」に、「釘」は「ネジ釘」に……昔聞いた「音」は、機械化で大きく変わって「トントン、カンカン、ギコギコ」が、かなり消えた。「音」の変化は時代の変化で、時折昔の「音」が懐かしいと思う。山の中で昔の「音」を聞きませんか、「昔の音の博物館」が、あったら楽しいと思う。「騒音・雑音」も含めてなら、なお一層興味深い。
 「雪がシンシンと降る」、雪のシンシンという音を聞いたことはないが、雪は音もなく降ってくる、雪に「音」を重ねた先人に脱帽、凄いな、と思う。音のない世界では、味気なく、静かな無音の空間でも「シーン」という音を聞いてきたのだと思いたい。雪がやってくるのは、もうすぐだ。大きな雪祭りも予定されている。「遊雪」で「融雪」を。「冬将軍」の子分になってたまるもんか。

●平成27年広報おおえ 11月号より
 
古ぼけた野球帽、黒っぽい薄汚れたジャンパー、眠そうな風采で、朝の6時半ごろ、 40 年前の車で山道を走った。道路に1台の自転車が止まっている。道路にピッタリと物差しで測ったように「平行直角」な駐輪で、まさしく日本の美学だ。山も青い。   
 人間が立って歩けるようなトンネル状の緑の葉っぱ。インゲンの栽培なのか、中にうっすらと人影が見える。車をトンネルの出口の真横に止めた。見れば、一生懸命「ささぎ」の収穫中のご婦人。頭には真っ白い手拭いで「あねさんかぶり」、腰には幅広ナイロンバンドで編んだ「はけご」、足元の長靴もカラフルだ。「かっこいいなー」若い方々、特に若い女性だったら、きっとこう叫ぶに違いない。「カワイイー」 
 トンネルをこちらの方に歩いてきて、頭に手をやって手拭いを取り「おはようございます」と挨拶を受けた。笑顔も素敵だ。帽子も取らずに、ぶっきらぼうに、作業中のご婦人に大声で「おはようー」と声をかけた自分に、「0点」をつけた。不遜の極みだ、言い訳できない。透き通る爽やかな秋の風、ススキのゆらぐ穂先で休む赤いトンボ。「 20 点」でいいんじゃない、と言ったかどうか。何も言わない。 
 「行儀作法が慇懃無礼と紙一重」だ、と語る方もいる。形式にとらわれるか、形式を無視するか……行儀と作法は、「小笠原流」とまでは言わないが難しい。10歳先輩のご婦人から、大きな教えを頂いた朝であった。ダンケ シェーン。

●平成27年広報おおえ 10月号より
 
久しぶりの雨。稲刈りの季節には、ありがたくない雨だ。「今まで経験したことのない大雨・大雪・大津波・強風」の「警報」が予報されるようになり、気候変動・異常気象・地球温暖化を、現象としても実感できることが多くなった。気象が被災を日常化し、「救難を「天気予報」で想定しなければいけないのは、少々きつい。「あーした、てんきに、なーれ」と「てるてる坊主」、穏やかな「天気」は、もう過去のものなのであろうか。「枝豆と松保の大杉」「蟻と象」などなど、地球上の生物は、気象の変動をどう見ているか。 
 10 日ほど前、「田んぼに入れるかあー」と、声をかけた。合羽を着て枝豆の収穫中の農家の方、長靴もかなり泥濘の中だ。トラクターには、枝豆を運ぶトレーラー。雨の日の、田んぼの難儀な、きつい仕事だ。「だいじょうぶだあー」、明るい声でこちらを見ている。薄暗い朝の5時の「明るい農村」。田んぼの仕事から、パック詰めになるまで、枝豆には多くの人の「手と足と心」が詰まっている。安全安心で美味しい枝豆を届けたい「一心」も。「手と足と心」への正しい評価を、消費される方々に期待したい。物言わぬ農家の方々のために。

●平成27年広報おおえ 9月号より
 
除草剤で一発草取りの時代、なんと若い女性が、腕まくり、裾まくりで、田んぼに一人かがみこんでいる。今ごろ? もうだいぶ田んぼの稲も大きくなっているというのに、どうしたんだろうか。車の運転席から、前方約500メートルだ。車を止めた。気温も高い。1番除草から、4番、5番まで、四つん這いになっての「田の草取り」は、稲作の中でもきつい作業だったと、よく聞かされていた。
 4分、5分もの間、女の子は縦横ななめに動いている。袖口を気にして一度立ち上がり、また緑の稲の布団に頭を入れた、足元が悪いのか、よろけながら。頭を出して、腰を伸ばした女の子は、ブルーのトレパン、白いジャージ。右手には「真っ白い野球ボール」を、しっかりと握っていた。野球ボールと遠目からわかったわけではない。近づいて行って、高校生の野球部の男子生徒が、バックネットの内側から見ていることに気づいたためだ。
 左沢高等学校は、1回戦を今年突破した。一球をマネージャー共々大切に扱うチームワークに、ほろりとした。「おごれるものは久しからず」は物心ともどもだ。一球入魂は、場内だけではない。場外の一球……、女の子の持った一球は、キラキラと輝いていた。。

●平成27年広報おおえ 8月号より
 
近頃、テレビ・新聞・国会などで、「戦争」とか「武力」とか「武器」……いままではあまり聞いてこなかった言葉が多く出るようになって、ある時代に歌われていた歌、「魔神の呪アルペンの 白雪永久に清からず 見よ永劫と誓いけん 平和の春は短くて ……」を時々思い出してしまう。戦争には「難しい」「簡単だ」は無い。怖いだけだ。防衛にも、「正当」「過剰」「誤想」……と様々あり、正当防衛が誤想防衛だったりすることもあって、これまた「怖い」。「戦争」の話は、語る方も聞く方もつらいものばかりだ。戦争では、「私は撃たないから、あなたも撃たないで」は通用しない。
 「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」の3点が、日本国憲法の基本だ、と教わってきた。「あやまちは二度とくりかえしません」と、広島の平和公園に刻んだ 70 年前の日本は、そんなに遠い昔のことなのだろうか。
 「……ケンクワヤ ソシヨウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ……ホメラレモセズ、クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」
 危機を避けて通る「人間の知恵」が試されている。宮沢賢治先生、「続・アメニモマケズ」をお示しください。

●平成27年広報おおえ 7月号より
 
40 年ほど前、高校生と一緒に勉強していたころ、雪道を「よつんばい」で走る車は4車種だけであった。2本足で歩くより力は格段に強いに違いない。5年間ほど、トラクターにタイヤを履かせたようなシンプルな構造の4WDの車に乗った。 60 歳を過ぎたら、またオープンカーで走ってみたい、ハーレーダビッドソンにも挑戦したい……などと、何かの折りに「余談」で生徒諸君に語っていたらしい。
 当時の生徒諸君もいまや 55 歳になった。紹介と「ちょっかい」と「遊び心」と…… 誰のどんな仕掛けかは聞いていないが、先日 40 年前に乗った車と同じ車が届いた。重いハンドル、すさまじい音、クッションも、「よくもこんな車に乗っていたもんだ」とみんなが言う。若さがじゃじゃ馬車の運転を可能にしたのか。道路の吹き溜まりに突っ込んだ「ベンツ」を、引っ張ったりもした愛車ではあったのに、ハンドルはいかにも重い。
 二、三度、暖かい日には半袖で、寒い日にはダウンを着て、山道を時速 20 キロ、木々の緑と白い雲、空気の流れに乗っかって走ってみた。実に気持ちがいい。時間があれば、 55 歳になった社会人達と、山道を走りたい。車の音に負けない大声を上げて、「Simple is best」ではあるなーなどと、人生の道のりを語り合いながら。

●平成27年広報おおえ 6月号より
 
早朝、それも5時半ごろ電話がなった。出ると切れてしまって、「間違い電話」だ、と思った。またも電話がなった。出ると切れた。記録された相手先の電話番号は、見たこともないような数字が並んでいる。誰だろう、どこからか、こんな時間に……少々不気味だ。またも電話だ。明るい声が電話の向こうから聞こえてきた。地球の裏側、「ブラジル」からの電話であった。 
 日本から、時の「世情」はともかくも、言葉も通じぬ世界のあらゆる国に、多くの日本人が出向いていった。異国の中で人生を切り拓く闘魂は、まるで「人間の可能性の最高値」を見るような物語もあれば、極限の寒暖の過酷極まる自然環境に敗北せざるをえず、耳目をふさぎたくなるような事例もある。空間の如何を問わず、己の普遍化を計るために、その野望と大望にフロンティアをかき立てた引き金は何であったのだろうか。
 20 年ほど前にブラジルの彼が故郷に帰ってきたときのこと、子供さんが立派に成長されて大活躍されていること、大江町のことなどで話題はつきなかった。「最終的な人生の勝利者」が、遠い異国のブラジルに暮らしておられて、故郷を、父を、母を思う、すてきな「心の電話」であった。

 「がんばれ、日本」

●平成27年広報おおえ 5月号より
 
「全国山菜サミット」が大江町で開かれる。5月 24 日、七軒地区・「山さぁーべ=旧七軒西小学校=山里交流館」・「柳川温泉」が主会場。深い雪から春一斉に芽を出す「旬の山菜」を味わいながら、全国の方々と交流を深める絶好のチャンス。皆で、さあ皆、山さあーべ。 
 山の猟師と川の漁師が、山に生かされ、川に助けられた時代は、そんなに昔のことではない。朝日岳の麓、大井沢の志田忠儀氏の「ラストマタギ」を読ませていただいた実感でもある。豊かな山と川が人間の命を支えていると考えるのは、アナクロどころかニューファッションだ。志田さんの百年近い山とのかかわりが、そう語っている。
 トップ、ピーク、サミット…高い点を表す言葉・サミットは「高く連なる峰々」のことだろう、と思う。広い裾野を睥睨しながら、孤高に酔いしれず、立ち位置を謙虚に見つめて、不動で無言のたおやかに連なる峰々と近くに棲む人々は誇り高く、人間社会の憧れにもなろう。山に挑む「登山」や自然回帰の指向はその証であろう。 
 「草木塔」は、「人と山菜」に隠れている信仰にも近い思いの深さのシンボルだという。山菜は、山に生える野菜ではない、自然の恵みだ、「山野のメグミーナちゃん」だ。どんな「全国山菜サミット」にしたいか。採るか、植えて育てるか。見るか、食べるか。聞くか、語るか……西山に向かって、さあ皆で、さあ皆、山さあーべ。
(注 大江町周辺では、一緒に行く、出掛ける時の言葉に、あべ・あーべを今でも使っています)


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